ネグレクトといじめは一生付きまとう。学生編
不快な表現があるかもしれない。
卑屈な感情が見えてしまうかもしれない。
でもこれからの目標を見つける為、今までの人生を文字にしていきます。
皆さん初めまして。
先ず私は生まれた時には離婚が決まっていて物心ついた時には母親しかいなかった。
私の名前の由来は、
母「望まれた子供じゃないからお前に付ける名前がなくお寺につけてもらった。」
私の子供の頃は母子家庭という言葉は、いじめに直結だった、、、
あの家は母子家庭だから遊んじゃいけません。
家に帰ればお前達が居なければ、学校に行けば一人、姉は自分が標的にならないために私を母と標的にした。
初めて家出したのは小学校3年生。
1時間で捕まった。親が探した理由は「未成年が家出したら私が捕まる。」
諦めた。
あがいてもあがいても大人には勝てない。
あがいてもあがいても他人は助けてくれない。
家出したままそのままのたれ〇ねば楽になるだろうと年1回家出を繰り返した。
捕まったその後が怖くて1年に2回も家出する気にはならなかった。
小学校6年の時、母から「お前は男だから中学出たら働けよ。」
この時、働くのだから家から出ていけるとすごく喜んだものだ。
中学に入り4つの小学校から集まる中学校で、いじめはひどくなった。
不良漫画の影響か学校でも殴る蹴るが始まった。
大人に殴られるほどでもなかったのでただうっとおしいだけだった。
先生は目撃しても見て見ぬふり。
同級生は自分の標的になるのが怖くて見て見ぬふり。
姉も同じだった。
中学校の近くの田んぼに正座させられてた。
そんな日は家にいると姉から殴るけるを受ける。
やめて、やめて、やめて、やめて
いっそ〇してくれればいいのに。
成績は中の上
母は学校から高校に行かせた方がいいと就職の幅が広がると3者面談の時に言われ
公立ならと考えてるけど、この子が働くというので子供の意思を尊重して働かせます。
この時に反撃した。「○○工業高校に行きたい。公立ならいいんだよね。」
先生がいる前で言ったことに鬼の形相になっていた。
受験に失敗させるためか家で勉強なんてさせてもらえなかった。
学校後に新聞配達のような学生労働をさせられた。
入試発表時、私は合格した。
親から入学はさせてもらえなかった。
中学校の学年担任全員がいる職員室に呼び出された。
担任「先生全員でお金を出し合う。お前の気持ちが知りたい」
私「その話するのは親にじゃないんですか?行きたくないのに試験なんて受けないでしょう?」
もしかしたらこの時が私の分岐点だったんじゃないのかといまだに思う。
行きたいと子供ながらに助けてといえばよかったとふとした時に思い出す。
親と話し合いが長引き入学手続きには間に合わなかった。
だからどっちにしても中学卒業で家を出るならと嫌がらせ第二弾。
2次試験夜学入試申し込みでもちろん合格。
この時、子供ながらに心から初めて笑ったと思う。
学校は母と話し合いがうまくいかず攻める標的が私に切り替わった。
「お前は行く気もないのに2回も試験受けたのか!!」
「お前の為に2人が高校に行けていないんだぞ!!」
1次試験の時に私を思いやるように、心配する言葉はどこに行ったんだ?
学校には「未成年は保護者の同意がなければ何もできないんですよ?
いくら行きたいといっても、許可がなければ何もできない。もうほっといてくれと」
私は学校に行かなくなった。
ただ私をいじめていた2人が私の志望校で落ちていたから天罰なんだろうな~と少し心が軽くなった気がしていたのは今でも思い出せる。
しょうもない復習にもならない事で喜びの感情なんて壊れてたんだと思う。
布団たたきが折れる事、竹刀で叩かれる事、すべて終わったと思った。
今の状態が4月には終わるんだ。
この先に起こる事を知らずに私は義務教育を修了した。