退院しました。

お久しぶりです。

 

7月末ですが本当に人生が無駄なものと感じてしまい自〇しました。

そして早期発見され救急にて助かってしまいました。

今の気持ちですがはっきり言って、変わっていません・・・

ただ自〇とは凄惨なもので、やってはいけない事だという認識をいまさらですが思っています。

なぜか?矛盾してるじゃないか?これを読まれた人は感じるかもしれません。

理由は

1,精神病院の隔離病棟に入れられる。

2,持ち家だが戻ることが許されず今は借家契約をして自分の持ち家には戻れていません。

この2つが嫌だったことかな。

 

病院は悲惨でした、トイレのタイミングもわからなくて糞尿垂れ流して廊下を歩く人等自分の今までかかわってこなかったような人ばかりでとても苦しかったです。

一応、任意入院だったのですが1ヵ月で退院したいことを告げると強制入院に切り替えられそうにもなりました。

病院と生きる事、天秤にかけるって言い方はおかしいかもしれませんが、外の自由が今は楽しいです。

病院でコロナクラスターの為、急いで退院しましたが昨日から39度の熱が出てるのでかかったみたいです。

今日は報告までにして休養を取ります。

この先、どう立ち直っていくのかも書けたらいいなと思います。

よろしくお願いします。

 

 

 

 

 

 

 

出会った子供たち。

不快な表現があるかもしれない。

卑屈な感情が見えてしまうかもしれない。

でもこれからの目標を見つける為、今までの人生を文字にしていきます。

 

父子、母子家庭の子供たちについて。

 

これまで出会ってきた子供たちに幸せそうとイメージを持ったことがない。

 

再婚した例も見た。

再婚の例にとっては悲惨だと思ったこともある。

再婚後、生まれてきた子供の方に愛情を注ぐのは仕方がない事なのかもしれない。

でも付き合いの段階で血のつながってない子供に愛情が持てるのか?というところをもっと考えるべきだと思う。

なおかつ血の繋がった父・母に関しても再婚した相手との子供の方に愛情を注ぎがちになっていた。

連れ子だった子供は再婚後、実の父母に甘えることが出来ず家庭の中で孤立していたことがあった。

 

また親の職業も子供のネックになることがあった。

例えば母子家庭で水商売や風俗をしている場合は、不良行為に走るのも見てきた。

 

子供の小ささや離婚の養育費の問題もあると思うけど短時間でしか働け無い為、決してきれいな恰好をしていなかったりおなかをずっと空かしている子供も見た。

 

また、進学に関しての問題も大きかった。

洗脳の様に中学校3年に上がるときには「うちは父子・母子家庭だから働きに出る」

その傾向は母子家庭のほうが多かった。

 

生涯年収を見れば中卒・高卒にそこまでの差はない。

ネット調べになるが

中卒  2億円

高卒  2億1千万円

 

私の中卒時の日給から計算した年収は   1,944,000円

(日当6千円×27日(月の平均労働日数×12ヵ月)

高校卒業平均年収はネット調べで     2,000,000円

 

ただ会社員として就職すれば年間休日が変わってくる。

 

高校にかかる費用は平均で公立で約140万円

 

私は母子家庭の親・子供達に相談を持ち掛けられることが多かった。

 

その理由は私が母子家庭で中卒だからだ。

 

親からは中卒でも社会に出ることに問題はないと説得してくれ。

子供からは勉強がしたいけど親が・・・が多かった。

 

その時は親と子供を目の前に高校に行く方がいいと言い続けた。

 

なぜか? 職業の選択肢が増えるからだ。

実際の所、いままで働いてみたいと思うところで学歴で引っかかったこともある。

専門職に就くのに義務教育卒業と高校で専門知識勉強した人が応募してきたら?

私でも高卒を取る。

 

それと15歳の子供にやりたい事を聞くことは残酷だ。

何になりたいの?

何がしたいの?

 

そんなもの分るわけない。

漠然と

プラモデルが好き。

絵を描くことが好き。

機械工やデザイナーって言っても幅は広がるばかり。

 

私は好きなもの=進むべき高校の進路だと思う。

普通科でもいいじゃない3年間で進む道を見つけれればいいと思う。

 

例えば高校に入りバイトしたとして。

法律上1日8時間 週40時間

週4日バイト、1日4時間程度働いたとして

900円×4日=3600円×4週=14,400円

1年間=172,800円 3年=518,400円

 

病気や試験等でもっと少ないかもしれないけど勉強しながら仕事経験もできる。

なおかつ学費も少し自分で払える。(学費無償化になったので家計の助け等)

 

その選択肢を親に持ってもらいたい。

また子供にこんな選択肢があると教えたい。

 

高校に行く中でやりたいものが見つかれば大学や専門学校という選択肢も増えてくるのだから。

 

2022年 高等学校無償化が決まり高校の選択肢はハードルがぐっと下がったように思うけど。

 

子供奴隷化思考の親は無償化でも数万のお金を手にする為に就職のあっせんをするんじゃないかと心配です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

心の中

不快な表現があるかもしれない。

卑屈な感情が見えてしまうかもしれない。

でもこれからの目標を見つける為、今までの人生を文字にしていきます。

 

記事を書いていく中で、心の浮き沈みが大きくなった。

思い出して書いていく中、涙が出てきたりもした。

 

私の中での整理として今までに出会ったキーマンをまとめようと思う。

 

電気工事士時代に3歳年上のSさん。

悪いことも含め色々遊びを教えてくれた人。

パチ〇コ屋時代に6歳年上のHさん。

悪いことも含め遊びを教えてくれた人。

上記2名の存在は記事を書いていくうえで出てこないが私の中ではいい友達だったと思う。1人は地元に戻り、もう1人は女性との同棲と私が職種かえた時につながりが無くなってしまった。

 

会社員時代

上司のHさん

書類の書き方や一般常識を色々教えてくれた人

今でも転職した際にどのように仕事を進めるかの基礎になっている。

 

金銭トラブルを起こした人

パチンコ屋時代に3人

1人目・彼女の病気で金を貸してほしい。5万渡して翌日とんずら。

2人目・新しい仕事を探すのに携帯が欲しいと言われた。2ヵ月後携帯料金未納の為、 保証人になっていたため15万の請求が来た。

3人目・親が事故で入院した。3万円貸してそのままとんずら。

 

会社員時代

こちらも4人

 

1人目

中古車を買い替え時に安くするからと会社の同僚の紹介で紹介された車屋にぼったくられた。(まともに乗れない車で話し合いが終わるのに3年車庫の中に入れていた。バイクに乗るきっかけ)

2人目

新規事業立ち上げの手伝いをしてほしいと誘われ書類作りを無料で押し付けられる。

約半年打ち合わせに呼ばれ会議内容をまとめ書類にして形になってきたところで連絡不通に、(無償で手伝い。最初に1会議3000円程度の報酬と約束していたのに報酬をもらったことがない。)

 

会社員になりローンが通るようになったら家を買えと要求。

会社の保証人の件があったので300万程度のローン支払い

ローン終了したが所有権は姉

 

会社員退職後

いろんな仕事をしてみたが金銭要求があった時は関係をきるようになった。

 

叔母

 

小学校より父方の祖母・祖母と付き合いがあった。

祖父・祖母の遺産相続の放棄を要求された。

元から相続主張するつもりなかったが祖母が亡くなる前泣いて謝られた。

親父が病気になった際に寝たきりになったようで引き取れと連絡あったが相続権放棄の件を言い断ってやった。

その後、亡くなった際にも連絡があり葬式の準備等、金銭要求があったがこれも祖父母の相続権放棄要求の件を言い断った。

 

 

現在進行形で母親の遺産放棄要請。

いくらあるのか知らないが実家の離れの金銭も返済する気はないよう。

まあ、あてにしてないしいらんけどと思う

 

20歳までに心の変化を与えてくれたのはEさんとSさんが大きいと思う

20歳からも2人 Hさん仕事の取組みかた、わからないときの解決方法のやり方

凄く役に立つ教育をしてくれた恩師。

(イニシャル表示するとかぶりまくりやんと今気が付く)

 

一般的に人生で出会う大事な人は3人というらしい

この点に関してはすごく恵まれてきたんだと思う。

 

憎しみに関しては小さくなりすごく穏やかになったと思う。

でもそれは近づく奴は金の要求してくるんじゃ?と思うようになったのが大きいと思う。

期待すれば裏切られたときの反動が大きいから。

でも頼られると優しくしてもらった人の思いがちらつき気になってしまう。

金銭で援助を受けたことないが金銭に変えられないものをいっぱい貰うことが出来たから・・・

 

結局、何が書きたかったかわからない記事になってしまったが書いているうちにまとめられそうに無いことに気づいてこのまま投稿します。

書いて消してを30分ぐらい続けてる自分に失笑ですw

 

 

 

 

ネグレクトといじめは一生付きまとう。まとめ

不快な表現があるかもしれない。

卑屈な感情が見えてしまうかもしれない。

でもこれからの目標を見つける為、今までの人生を文字にしていきます。

 

今はシングルと言われ理解を得やすくなってきた時代が来たかな?と思う事がある中で不幸な気持ちになっている子供はまだいっぱいいると思う。

 

私は親・姉弟に恨み言しかない。家を出て約20年で許せたかといえば許せていない。

 

父も2005年だったか他界した。

母は2012年に脳梗塞で倒れた。

姉は介護でノイローゼ。

 

この状態でもかわいそうとは思えない。

 

ただ私が過ごした20年、周りから優しさ・厳しさをいっぱい教えてもらったと思う。

結婚を考えると臆病になる。

自分が親と同じようになるんじゃないか?

パワハラ野郎を殴った時、人生で初めての暴力だった。その時の自分の中の黒い感情とすっきりした気持ち。

1度暴力をふるったのだから次は簡単に暴力をふるうんじゃないのか?

答えの無い問題なので考えるだけ無駄なんだと思う。

 

中卒は悪い事ではない・・・でも社会は中卒を認めない。

ネグレクトは悪だ・・・自分の未来に臆病になってしまう。

 

大人になってから夜間に行けば?なんて意見を言う人もいますが

親からの借金を払い、自分で家賃など生活費を払いながら学校に行けるでしょうか?

生活するための仕事は2交代などが主だった学校に物理的に行けない。

通信でも登校日があり仕事に穴をあけれない。

新しい仕事で色々覚えないといけないのに学校の勉強もできない。

 

就労支援・不動産営業をした時は人生最悪でした。

家に帰ると次の日の資料制作で睡眠時間4時間程度でもちろん家で作業なので残業もつかない。

 

これだけは言える。

今のまま昔に戻れるなら私は児童相談所に駆け込むと。

借金はほぼ返せたけどこの利息を考えるとゾッとしますけどねw

 

記事にすると7ページ凄い長くなった日もあるけれど、今からの目標探しに文字起こししてみました。

私より悲惨な目にあってる人もいると思う。

でも今回、書き出したことにより時間が気持ちを解決できるのか?という事は答えが出ました。

 

ちなみに母の恋人は自分で覚えてるだけで4人です。

再婚はしていない。

私は親父がお前を捨てて出て行ったと物心ついてから言われ続けたので、お父さんという言葉を知らない男性に言えずおっちゃんと言ってしまい母に怒られてそのたびに破局したようです。

 

でも結婚とか理解できない年頃に新しいお父さんよと言われてもわからないじゃん・・・

次からは今まで出会った子供たちについて書いていこうと思う。

ネグレクトといじめは一生付きまとう。

不快な表現があるかもしれない。

卑屈な感情が見えてしまうかもしれない。

でもこれからの目標を見つける為、今までの人生を文字にしていきます。

 

2015年 会社にて早期退職者募る。

 

34歳の時だったと思う。

尊敬してた上司が早期退職枠に手を上げ組織図ががらりと変わる。

そこからがおちていく毎日だった。

 

同部署にパワハラ社員がいた。

いままで自分から近づくこともなかったし、トラブルが目に見えていたので避けていた。

過去に何があったのか?

・派遣上がりのくせに。

・お前、片親なんやってな。

・中卒のくせに。

・俺のほうが年上だから何でも言うこと聞いとけ。

 

ただ早期退職のせいで他部署に移動とかもあり2交代の為、チーム編成があった。

元上司から

・お前は一人でも仕事ができるのだからほっとけばいい。

・何か言われたのなら相談に来い。

と言われててパワハラもひどかったので、今までのチーム編成にも気を使っていただいていた。

 

ただ問題を起こしすぎる社員の為、新リーダーより誰も一緒に組みたくないと言っている。3ヵ月で別人員と交代して順番に回そうと思う。3ヵ月で交代するから我慢してくれと言われました。

 

皆で回すからという事で了承しました。

その日から始まるパワハラ行動

上記に書いたことは毎日言われ。

無理な納期で仕事の押し付けも。

 

3ヵ月だからと我慢していたら3ヵ月目にもう3か月我慢してくれとリーダーに言われました。

あの人の部署移動がもうすぐあるので3カ月丸ごとにもならないそこで編成し直しをするのは大変だからお願いという事でした。

 

いいですよと返事して部署移動になるのを楽しみに待っていた。

 

3ヵ月後

旨く回してるじゃないかこのままの班編成で次も行く。

移動話なんて嘘だった。

私「次、難癖付けられたら辞めますよ?3ヵ月との約束をここまで反故にするならあなたにはついていけない。あそこまで人を馬鹿にすることを言う人に注意もできないようなリーダーってどうなんでしょうね。今言ったことでいいなら班編任せます。」

 

ボーナース査定

上司2人「ノルマ不達で通常査定ね」

私「ノルマ以上にこなしてますが? 私の書類は部長印まで押してあって社内に回ってるはずですが?」

上司「中卒だから評価はあげれない。」

私「私が入った時は年功序列は悪だからベンチャー寄りに社内改善するという話でしたが?○○部長が言われてましたが部長以下のお二人の意見でしょうか?部長の意見でしょうか?」

上司「母子家庭で教育もまともに受けれてないからこういう評価になる。」

私「上司が喜ぶ返事をしないからこれからも評価はされないという事ですね。」

私「これ以上お話を聞いても時間の無駄ですから今回の話はしかるべき場所へ相談します。」

退室しようとした私になんか言っていましたがそのまま部屋を後にしました。

 

この後、何となくどうなるかもわかっていたのでもう我慢しない事を覚悟して部署に戻りました。

 

パワハラ野郎「評価どうやった?お前はどんなに頑張っても中卒やから評価はされない。俺は本体から出向だから仕事しなくても出世は約束されている。」

私「・・・」

パワハラ野郎「おい聞こえとるんか?母子家庭だから人に声かけられたら返事するって知らんのか」

私「・・・」

パワハラ野郎「おい!お前なめとんのか!」

後ろから肩を殴られて首元つかまれて揺さぶられました。

私「おい お前今殴ったよな? 責任とれるんやろな? おい?人が普段笑ってるからって調子乗っ取んちゃうん?」

怒鳴って睨みつけた。

パワハラ野郎「す、すまん」

私「お前今殴ったよな?」

パワハラ野郎「わ、悪かった」

私「お前の言うように母子家庭で中卒やからお前どうなるかわかってやったんよな?」

この時、いつも高圧的になってたやつがビビッて半泣きになってた。

他部署から騒ぎを聞きつけて人が集まりだした時にぶっ飛ばしました。

そしたら泣きながら謝るんです。

もうどうでもよくなってそのまま総務に行きパワハラの事を伝え退職願出ました。

上司の査定の事。(本年度、業務表彰受けていたので不当評価&パワハラ発言)

パワハラ野郎の今までと今日の出来事。

社内調査するため少し待ってほしいと言われましたが、リーダーにも信頼がおけないので退職します。

 

その後、社内調査を行ったみたいでリーダー含め上司とパワハラ野郎と会議室に呼ばれました。

 

もう自己保身のため

言ってない。

気のせい。

自意識過剰じゃないのか?。

 

私「私は母子家庭の中卒なので、言われていないことまで考えてこたえられない。」

私「私は母子家庭の中卒なので、上司とパワハラ野郎に追い詰められてパワハラ野郎には後ろから殴られたので我慢できずにパワハラ野郎を殴りました。」

こんな感じで中卒と母子家庭を発言時につけて煽っていたら

上司「育ちが悪いからこんな言いがかり浸けるんだ!」

笑ってしまいそうでしたね。

私「それに私は今季の業務表彰受けています。不当評価はパワハラじゃないんですか?文句言ったらこれからも評価されることないと言われましたよ」

私「頑張った証拠もあり。これから頑張っても評価されないので退職します。」

 

これで私の会社員は終わりました。

その後はいろんな職を転々として今はフリーランスとして働いています。

 

 

 

ネグレクトといじめは一生付きまとう。

不快な表現があるかもしれない。

卑屈な感情が見えてしまうかもしれない。

でもこれからの目標を見つける為、今までの人生を文字にしていきます。

 

27歳の時、父方の御祖母さんより連絡があった。

小学校時にもう家が嫌だと電話した時から付き合いがあった。

ただ19歳の時、頼ることをしなかった。

 


祖父の13回忌に出て欲しいとの事だった。

2つ返事で会社の盆休みに行く計画を立てる。

 


当日、新幹線に乗り東京に出た。

目的地は千葉なので総武線へと行くとガラガラだった・・・

ウォークマンをしていて館内放送を聞いてなかったのがいけなかった。

 


30分ぐらい待ったけど全然電車が来ない。

キョロキョロとホームを見渡すと1人電車を待っていた。

Hさんとの出会い。

背が小さくてパンツルックのかわいい子だった。

私「すみません。千葉に行くんで電車待ってるんですけど全然来なくって。ここじゃないんですか?」

H「私も岩手から今日出てきてよくわからないんです。」

私「少し待っててください聞いてきます。」

人身事故の為、ホームが違うとの事だった。

目的地も同じ方向だろうしHさんに話し一緒に向かった。

私も兵庫から出てきたこと。ゲームが好きな事を話しするとなんのゲームか聞かれた。

オンラインRPGの名前を言うと私もやってるとの事で法事から何日ぐらいに家に帰る事を伝え電話番号の交換をした。

 


10年という時間はEさんの事を忘れさせてくれていた。

半年に1度思い出すかどうかというようになっていた。

その後のTさんの事もあり人を好きになるのは怖くなっていた。

好きだ嫌いは何となくだがわかるようになっていた。

私の中では大事にしたいと思うことが好きになるという事だと思っていた。

27歳にして初めて父親に会った。

父も親と折り合いが悪かった事、千葉から兵庫に出て結婚して子供が出来て家庭をおろそかにしてしまった事を聞いた。

私の事は気になっていたが連絡をする手段がなかった事、あと私の家庭内の事を聞いて19で家を出たことを聞いた父は笑っていた。

まじこいつぶっ飛ばそうかと思った。

 


30までに父と母から金の無心があった。

父からは会社の保証人になってほしいと

母からは姉が家を買ったけど買った家の離れの部屋がローンくめなかったとの事。

父からの申し出は断った。

母の申し出も断ったが会社に突撃されたので派遣上がりで会社に迷惑をかけたくなかった事と自分の人生でやっと手に入れた会社員というのを手放す事態になるのを恐れ離れの部屋を購入した。

 


この時、消えかけていた心の憎しみはまた大きくなり始めた。

 


ただHさんと毎日のようにゲームで遊びSkypeでつなぎながらゲームするようになってからはこの子と生活したいと思うようになった。

 


もっと仕事を頑張って給料を上げたいと思って頑張った。

直属の上司は評価をしてくれて+判定でボーナス査定・給料査定を申告してくれた。

※+査定は通常ないのですが1つ上の査定は年功序列で順番待ちという事で上司が課長に意見してもぎ取ってくれていた。

 


本当にいい上司だったと思う。私の提案する事には一目置いてくれていた。中卒を私の強みだとほめてくれたのは40歳になったいまでもこの人だけだった。

勉強した人はそこでどうすればどうなると卓上で習うから私の出す提案は面白いやん設計に話してみろとのびのびと仕事をさせてもらった。

あと俺、今年ノルマ達成まで2個足りないんやけど1個4000円で売ってくれない?とか言ってきて面白かった。改善案が通れば給料に1案件3000円加算されるシステムだった。

 


この時はただ何も起こることなく本当に穏やかに生活が出来ていたと思う。

ただ何に向かっているやどうしたいの目標は持ててなかった。

 


事が起こったのは2011年の東北の津波だった・・・

Hさんと連絡が取れなくなった。

長期休暇には行こうかと思ったが住んでる場所まではわからなかった。

そのうち電話が解約された。

津波からゲームにもログインが無かった。

 


半年後、ふとSkypeを立ち上げたらログインになっているのを見つけた。

すぐにメッセージを送ったら返ってきて津波で心配してたことなどを伝えたら笑われた。

理由は仕事を変わったことや生活のリズムが逆転したからログインしてもほぼ人が居なかったからゲームをやめたとの事だった。

そこから私は遠距離だったけど付き合ってほしい事を伝えた。津波から本当に心配なったし大事にしたい人だという事を伝えたら泣きながら「よろしくお願いします」と言われた。

12月長期休暇があったので上司に好きな人が出来た!交際申し込みをしたけど遠距離だから交際のあいさつと結婚を前提のあいさつに行ってきたい!って言うと

上司「写真見せろ。」

私は携帯の画像を見せる。

上司「美女と野獣やん。」

私「美女とウサギちゃんでしょ?」

上司「こんなバカでかいうさぎがいたらぶっ〇ろすわ」

私「そ、そこで長期休暇の出勤日を末に固めるか、始まりに固めて欲しいんです。」

上司「かわいい子だから、なんか悔しいし均等に振り分けていけないように組んどくわ」

私「ちょっと倉庫裏に行きましょうか?いい返事聞かせてくれるまで拳で語りましょう」

上司「上司に暴行とは出世に響くぞ」

私「出世に響かないようにとことん心居ればいいんですね」

上司「おまえのサイ〇パス加減が面白すぎてびっくりやわwまかせとけその代わりいい返事貰って来いよ。」

 


長期休暇が始まり新幹線に乗り一ノ関へ到着。

初めて見る岩手は驚きの連続だった。

駅から出てビジネスホテルにチェックインして近くの蕎麦屋に行くと営業中なのに誰もいない声をかけても誰も出てこない。

そうすると隣の店舗のおじさんが来てここのおやじ多分将棋しに行ってしばらく帰ってこないよとの事ww

とりあえず飯屋がなかったw

とぼとぼ歩いていたらトラックがコンビニに止まってたので声をかけてみた。

私「すみません。今日初めて岩手に来たんですけどここら辺にご飯食べるところありますか?」

トラック「あんちゃん関西から来たんか?」

私「そうなんですよくわかりましたね?兵庫です」

トラック「関西弁だからw ここまっすぐ行ったらお好み焼き屋があるわw」

私「ありがとうございます」

関西弁喋ってたらお好み焼きなんかすすめるなよ!!と心で叫びとぼとぼ歩いた。

もうどこ歩いてるかわからなくなったのでタクシーを呼び駅前に帰ることに・・・

結局、ビジホ横のローソンと吉野家で晩御飯と朝食をすました。

 


翌日、クリスマスプレゼントと挨拶のお菓子を持ってHさんと待ち合わせ。

駅前で待ってると車で迎えに来てくれた。

家に行き挨拶とお菓子を私と歓迎された。

出会いを聞かれ、津波の時期に連絡取れなくなったことで告白した事を伝えた。

仕事を聞かれ付き合い自体は27歳だったから近くに住んでもらってお付き合いがしたい事、同棲は結婚前なのでしない方向で私がマンションを契約するので数か月そこで生活してもらい休日等にデートしたいことなど伝えたら。

親御さんの顔が曇った。

娘と結婚を考えているなら反対はしないけど岩手に来てくれないかとの事だった。

Hさんの家はサラリーマンの家系で家を継ぐ等の話はなかった。

けど岩手と兵庫の距離が遠すぎることが引っ掛かるとの事だった。

 

その日は晩御飯をいただいて親父さんと盛り上がってしまいこたつに入って深夜まで酒を飲んだ。

 

次の日、お昼ぐらいまで引き止められ彼女とデートに出かけた。

ゲームセンターに行った。

 

田舎のせいかゲーセンのUFOキャッチャーのアームが甘めの設定だったw

軽四のトランクに入りきらないほどのぬいぐるみを取ったw

あれが欲しいこれが欲しいとはしゃぐ彼女とても幸せを感じられた。

夕方になり晩御飯を誘った。

ただ彼女家よりご飯に来なさいと連絡が入ったので帰宅することに・・

彼女のお姉さんも出迎えてくれて軽四のトランクを見てびっくりしていた。

こんなにいっぱいいらないでしょ!これちょうだいとか言ってるw

案外オタク一家なのかもと思ったw

 

その後は明日の夕方に帰る事を伝え2日間世話になった事を伝えた。

昨日の話も私のほうが出てこれるのか考えてみます。

と深夜まで親父さんと呑み翌日を迎えた。

 

別れ際、親父さんに手招きされ

H父「家は女ばっかりだから息子が出来たみたいで楽しかったまたおいで」

私「ありがとうございます」

そして彼女に駅まで送ってもらい電車の時間まで少し話した。

兵庫って遠いかな?転勤希望出せるか聞いてみるよ。

Hさんも兵庫に出てこれるかも考えてもらいたい等の話しして新幹線に乗り帰った。

 

連休明けに上司に会議室に呼ばれた。

上司「どうやった?」

私「歓迎はされたんですけど、遠すぎるので私に岩手に来ないかとの事です。」

私「うちのグループで岩手に近い所に転勤希望出せないですかね?」

私「ただ今が特殊業なので新規作業内容になるので不安だらけですので悩んでいるところです。」

私「新規なら岩手の地元工場で転職することも考えてるんですけど」

私「いった感じ働けそうなところなかったんですよね・・・商店街はシャッター街になってたし…」

私「とりあえず。まだ始まったばかりなのでよく話し合います」

上司「わかった」

ただ半年ぐらいで自然消滅しました・・・。

 

 

 

 

 

ネグレクトといじめは一生付きまとう。

不快な表現があるかもしれない。

卑屈な感情が見えてしまうかもしれない。

でもこれからの目標を見つける為、今までの人生を文字にしていきます。

 

お好み焼き屋を出て東に進んでいく。

日が昇ると公園に行き寝る。

起きると歩いたり休憩したり日が落ちると休憩少なめで歩き続ける。

なぜ逆転してるのかというと気温が低いため寝れそうな場所がない、段ボールを集めて小屋を作ってもよかったがそに居続けることはないと思ったから。

 

気持ちの中は

つらい。

しんどい。

〇たい。

なんで。

と負のループ。

 

東に進んだ理由はEさんと大阪のほうに行こうと計画を立ててたから。

本当にそこに向かったのか確かめるすべはなかったけどまだ探してたんだろうと思う。

 

1週間ちょっと歩いたと思う、そこで歩くのも疲れて高架下を探し少し休むつもりが立膝立てて立てて寝てしまっていた。

 

この時、Sさんに出会った。

S「おい!大丈夫か!」

私「ほっておいてください」

遠ざかる足音が聞こえホッとした。

しばらくして

S「おい!乗れ!」

抵抗はしたがSさんの乗ってきた軽トラックに載せられSさんの家に行った。

ご飯を用意してくれて、食べ終わるとお風呂に入るように勧められた。

お風呂を上がると服は全部洗濯していてくれた。

浴衣が用意してあり、どうしてあそこにいたのか?どこに向かっているのか?

住み込みの仕事を探し兵庫から出てきたことを伝え、高架下にいたのは疲れたからという事だけ伝えた。

お互い何をいう事もなく黙ったままになったので

私「食事やお風呂ありがとうございました。」

私「迷惑をかけてしまうので服が乾いたらここを出ていきます。」

という事を伝えた。

S「どこに行くかあてはあるのか?」

私「ないです。ご家族にも迷惑がかかるでしょう?」

そしたら少し考えてSさん家族を呼び

S「こいつ遠い親戚の子なんだけど家出してきたらしい。落ち着くまでおきたいけどいいよな?」

私「ちが・・」

S「だまとっけ!」

手放しでいい顔されなかったけどしばらくご厄介になることが決まった。

店の手伝いをして寝るって生活ペースになった。

心の中では手伝っているんだから世話になってもいいと考えるようになっていた。

2週間ほどたった時にSさんから怒られた。

S「いつまでこのままなんや?」

私は特にミスをしたという事もなく怒られる事がよくわかっていなかった。

S「一緒に生活をして今までの経緯等話ししてくれると思ったけどお前は話しすらしない」

私「どうせ突き放すなら手なんか差し伸べなかったらいいじゃないか」

この時、本当に人として最低な事を言ってしまった。

私「邪魔なんでしょ?今日でていかさせていただきます。ありがとうございました。」

Sさんは私に背を向け何も言わなくなってしまった。

その背中に私は親との関係を伝えすべてに嫌になって飛び出してきたことを伝え着替え等を紙袋に詰め出ていく準備をした。

そこまで量が多かったわけじゃないので10分程度だったと思う。

最後にお礼を伝え出ようとした私にSさんは茶封筒を持たせてくれました。

S「給料や」

お礼を告げ私はSさんの家を出ていきました。

その後、地元に戻り住み込みのパチ〇コ店に就職、知らない土地での就職でもよかったのだがEさんの思い出の場所に行けるところの範囲で生活しようと思った。

その時、おかしかったのかもしれないけどその場所に行けばいつかまた会えるかもしれない事を心の支えにしようと思ったからだ。

 

生活は苦しかった。

スーパーに大根の葉っぱをもらいそれを食べることもあった。

パチンコ屋のお菓子をもらって食べることもあった。

半年ぐらいたつと生活もいいペースになってきた。

時給は1150円×8時間×27日(平均出勤数)=248400円

寮費8000円

24万の給料

18歳で仕事の為

車を買ったローン

免許のローン

親に仕事休んでた時にサラ金に借金させられた返済

支払っても10万近いお金が残るようになってきた。

 

その時、悪い事ばかりだったが遊びを教えてくれた同僚

笑う日は増えてきたと思うEさんの事も思い出すのは時々になってきていた。

 

その時、アルバイトに来ていたTさんから告白された。

最初は断っていたのだけれど自分の過去など話したくなかった。

2ヵ月ぐらいだろうかのらりくらりと断っていたが私の気持ちが崩れたので

会社に退職届を出した。

 

退職理由はもの作りが好きで工場勤務に将来を考え転職したいという事を伝えたので、

家出を知っていた店長は喜んでくれた。

 

退職日は寮生にしか伝えず、Tさんへ言わないでと根回しもした。

退職当日、Tさんを仕事終わりに呼び出し今日で私が終わりだと伝えた。

告白に関しても人が信用できない事、人と付き合いをしたことないからどう接すればいいかわからない事、遊び等今までしたことないから私といてもつまらないという事、Eという人が忘れられない事を伝えた。

ここで「さようならきっと縁がなかったんだよ」と別れた。

 

次の仕事は知り合いのパチ〇コ店だった住み込みで地方のパチンコ屋だったのですごい暇だった。

そこで給料は下がったけどご飯付きっていうところですごいゆっくりとした生活になった。

3ヵ月ぐらいしたころだろうかTさんが私のいるパチ〇コ屋に来た。

私に似た人が働いてるのを聞いて来店したとの事。

うっとおしいと思う反面、嬉しかった。

仕事あがりの時間が微妙だったので定休日に会う約束をして帰ってもらった。

 

その日になり待ち合わせの場所に向かった。

 

T「久しぶり」

私「久しぶり。迷惑なんだけど?」

T「私ならあなたを絶対裏切らない。あなたの中に誰かを思う気持ちがあってもいい。私のほうに振り向かせて見せる。あなたとずっと一緒にいたい。」

私「絶対無理。そもそも人間が嫌いだし。」

T「絶対なんてことはない。私にチャンスをください」

私「絶対裏切らないって言葉にも矛盾が出るんだけど?」

T「お願い人とのつながりのチャンスが欲しい」

この時、同じ内容の話をグルグルしていた。

めんどくさいという気持ちもありじゃあ付き合おうという事になった。

私「じゃあ君が俺を好きだというなら、君を好きという事を思い込むよ。」

私「1度でも嫌いだと言われたらそれは別れだけどいい?」

Tさんは何言ってるんだろうと不思議そうな顔をしていた。

そこから1年Tさんは私の店に就職して夫婦寮で同棲することになった。

インターネットも普及してきてたし交際の手順みたいなのを調べた。

パチ〇コの店員は結婚するなら転職したほうがいい事、結婚は2年ぐらい付き合ってからでいいんじゃないかとの事が書かれていたので1年でパチ〇コ屋は辞めることにした。

辞める前にTには結婚を前提として付き合っていく為に転職することを伝えアパートを借りた。

派遣会社に登録して某電機メーカーへ就職した。

Tさんとはうまくいかなくなってきた。土日が休みになったことでTさんに不満がたまってきた。逆に私はTさんが休みが違ってもどうでもいい感じの態度に当たるようになってきた。転職を進めたこともあるただスーパーに行くより給料がいいので続けたみたい。

 

そのうち仕事の勉強、派遣先正社員への登用(派遣から半年で引き抜きの話が来ていた)の準備で多忙になった。派遣先の上司がノルマを課してきていたため実績作りの為、頑張っていたけど頑張れば頑張るだけすれ違うようになってきた。

 

2年半付き合った時、Tさんからの話。

T「別れましょう」

私「今までありがとう。いつ出て行ってくれる?」

好きか嫌いかで言えばまだわからなかった。好きだと言ってくれてた時は好きだと思い込み喜んでくれるだろうという事はしてきたつもりだったが、付き合う最初に好きだと言ってくれてる間は好きになるって約束したしその約束が破られたと思ったからすぐに受け入れた。

 

T「なんで引き留めてくれないんの!好きじゃなかったの!」

と言われたので淡々と話しをした。

好きではない事。

好きだと言ってくれる間は好きだと思い込んでいたから自分でも努力した事。

嫌いだという事を言われたら別れると言っていた事。

これではっと気が付いたようだった。

T「別れたくない。あなたを試しただけ。」

この時、体調不良という事にして初めて会社を休んだ。

淡々と話しをしてこれ以上、付き合っていくのなら結婚を考えてたことや

正社員への登用が済めば少し時間にも落ち着くはずだった事

2度目はないと思っていたがあまりにもしつこいので折れて交際を続けることにした。

 

Tさんが家に来て両親へ挨拶してほしいと言ってきた。

私的にはまだ派遣という事もあり断っていた。

でもあまりにも同じことを続けるのであいさつに行くことに。

 

家に行くと約束をしていたにもかかわらず父親はいなかった。

そしてT母よりひどい言葉が言われた。

 

T母「挨拶が遅いんじゃないでしょうか?挨拶もせずに同棲をする非常識な人には来てほしくなかった。」

私「挨拶が遅くなり申し訳ありません。2年お付き合いさせていただいており仕事が落ち着いたら結婚も視野に入れています。」

T母「聞いた話ですけど母子家庭なんでしょ?母子家庭の様な非常識にうちの娘は嫁がせたくない。以後、挨拶だとか言ってうちに来ないでほしい。」

T母「仕事が落ち着いたらってどうせくだらない仕事なんでしょう?聞きましたけど中卒なんでしょう?」

私「現在、○○に派遣されていて正社員としての登用を約束されています。」

T母「中卒の母子家庭だから常識にも欠けてるのかしら?正社員の登用は派遣会社の正社員の事でしょう?派遣会社の社員なんて恥ずかしい事で自信持って言える事じゃない」

T母「今日は挨拶に来てくださりありがとうございました。もうお引き取りください。」

私「今日はお時間作ってくださりありがとうございました。私も今後Tさんとの付き合いの仕方を考えることが出来そうです。常識、非常識だと言われていますが相手の事を母子家庭だ中卒だと言われることが常識だと言える方とはうまく付き合えませんので失礼します。」

この会話中、Tは横にいたけど何も言わずニヤニヤとしていた。

凄く悲しくなった。頑張りを見てくれて引き抜きをしてくれた上司にも申し訳なかった。

 

通常の生活でうまくいくこともなく4月から正社員登用の内定が出た時点でTに連絡した。

Tは帰ってきたり帰ってこないようになってきていた。

私「このままだとだめだと思う。これからどうするの?」

T「お母さんも言ってたけど中卒が大手メーカーに正社員になんかなれない。何考えてるかわからないからもう一緒にいたくない」

私「わかった荷物運びだしてね」

3月から引き抜きの為の休職に入ったため新しい新居を決めた。

解約通知を出したことを伝え引き渡し日までに荷物を出してほしい旨を伝えた。

 

この時、寂しいという気持ちも少しはあったが仕事が楽しくなっていたので打ち込んだ。

やっぱり人とのつながりはこんなもんやねとも思っていた。

しばらくしてTさんの友人とばったりと出会った。

T友「こんにちわ」

私「こんにちわ Tさんの友達やんね?」

T友「そうよく覚えてたね。w」

私「異性の友達なんていないからTさんの周りぐらいしかいないから」

T友「派遣の正社員になったんでしょ?パチ〇コ屋の店員よりいいじゃん」

私「いや○○の正社員の内定が出て4月からメーカー社員になったよ?」

びっくりした顔をしていた。

あとはあたりさわりもない事をしゃべりわかれた。

その後、無言電話がひどくなったので携帯電話を番号変更した。

 

この時、大手という事もあり身元保証を三親等で付けるという事があり4年ぶりに叔母に電話して実家に1度帰った。

 

自分が成長したせいなのか、金回りが思うようにいかなくなったのか4年ぶりの母親は弱っているように見えた。

特に出て行った時の感情は湧いてこなかった。

この時、落ち着いて今後の事を話しした親が〇んだとしても葬式には出ない事、私が〇んだとしても身元引受しない事、保証人の件はありがたく思うけど自由に生きていきたいので関わり合いにならない事を約束してもらった。

 

この後、27歳まで特に何もなくPCオンラインゲームにはまり仕事とゲーム三昧でした。