ネグレクトといじめは一生付きまとう。18歳まで。

不快な表現があるかもしれない。

卑屈な感情が見えてしまうかもしれない。

でもこれからの目標を見つける為、今までの人生を文字にしていきます。

 

 

学校へ卒業証書だけ取りに行った。

帰宅後、知らない人が家にいた。

母「明日からこの人の会社で働くのよ。」

 

家から出ていく事はかなわなかった。

自分の中ではどこか遠くのところに行って住み込むつもりだったことを伝えた。

その時に言われた言葉に私はまた絶望した。

 

子供は20歳になるまで家から出れない。

法律的に成人するまで独立できないと。

 

今でならインターネットを使い調べることが出来るがまだまだインターネットなんて普及していないし携帯電話もない時代だったから、あと5年は本当に気分が沈んだ。

 

その会社に次の日から働きに行った。

外壁塗装屋だった。

 

ただ未成年の労働には制限があるようで使いにくいという理由で3か月でクビになった。

何メートルかよく覚えていないが高所作業ができないというのがネックだったようだ。

 

ただいまだに思い出しても27日ぐらい出勤したのに一回も給料をもらったことがない。

母が貰ってたんだろうな。

 

次の会社は自分の見つけてきた電気工事会社に日当6千円で働きに出た。

27日出勤×6000円=162000円

私が社会に出て初めて手にした金額だ。

 

給料袋を手にして、いくら貯金に回してとルンルンで家に帰りまた絶望した。

母「給料袋出せ。子供がお金持つとろくなことにならない。」

 

奪われた。

私に渡されたのは2万円。

母「あんた働きだしたんやから生命保険自分で払いや。仕事行ったときのジュース代はは小遣いでやりくりしろよ」

生命保険料1万4千円を郵便局に入れ、残ったお金を見て泣いた・・・

 

仕事中10時と15時にジュース代がいる。 

110円×2回=220円

220円×27日=5940円

 

働きに出てジュースを買う事なんてできなかった。

でも現場仕事なので水道も無い所だとジュースを買うこともあった。

貯金なんてできなかった・・・

 

働き出して1年はたとえ1000円でも残してと頑張った。

 

2年目、月から木曜は22時帰宅で土曜日の仕事終わりに家に帰らなくなった。

仕事終わりに自転車に乗り海を見て9時半に家に向けて帰る。

土曜日は朝日が昇るのを見て橋の下に移動して寝る。

日曜の夕方に家に帰り月曜の為に寝るというサイクルになった。

ただただ家に帰りたくなくなった。

 

地元の暴走族に囲まれたこともあった。

ただ近所の人で「お前なにしとん!?」「こいつんち母子家庭で親やばいんよかかわらんほうがええで」と見逃してもらえた。

 

その時はえ??そこまで!?って不良と呼ばれる集まりにも居場所がないんやろうな

元から参加するつもりもなかったけど、やっぱ私はいつまでも一人なんだろうな。

 

冬になり寒い中、凍〇でもしないかなといつもの場所にいたら1人の女性に出会った。

最初は3日に1回ぐらい見かけてるぐらいで、声をかけるわけでもなく、自分のやってることを棚に上げて、また居るキモイなって思うようになってた。

 

見かけるようになって1ヵ月ぐらいたった時、声をかけられた。

女「ずっとおるけどなにしとん」

 

凄いビックリした。人間が嫌いになっていたからすごい怖かった。

どう話を返せばいいかわからないし、その場を何も言わずチャリにまたがって帰った。

明日は別の場所探さなあかんかな?とかその人に対する失礼な態度の事なんか考えていなかった。

それにひどくイライラしていた、ただ海を見続けることも私にはできないのかと。。。

 

次の日、どうしようかと思っていたがその場所がすごく好きだったので、昨日の事もあるしもう声はかけてこないだろうと思っていつもの場所に行った。

 

1時間ほど波の音を聞き空を見上げるように寝転んでいたらあったかいコーヒーを差し出された。

 

女「なにしとん?昨日はびっくりしたわ、これあげるから何しとんか教えてよ」

びっくりした昨日の態度でもまだ話かけてくるのかよと思ってた。

※名前はイニシャルで書きます。

 

私「いらん。お金ないですし」

女「あげるゆーてるやん」

私「知らん人から物貰ったらあかんし、友達でもないのにおごってもらう理由ないです。」

女「子供!? 知らん人から貰ったらあかんて何歳やねんw私の名前Eっていうんよ。名前教えてよ。」

私「T」

E「名前お互いに知ったんやから友達やろ」

私「違います」

E「何歳?私18歳」

私「16歳です」

E「高校生?わかいな~自己紹介したんやしコーヒーあげるわ」

私「ありがとうございます。高校はいってないです。」

E「コーヒー飲んだんやし、昨日も聞いたけどなんしとんか教えて?」

 

本当の事を知ったら気持ち悪がってもう寄ってこないだろうと思って、今までの事を話した。

話し終わったらEさんがなんか泣いてた。

E「なんで平気そうに淡々とそんなこと言えるん!」

怒られた。

 

本当にうっとおしかった。

私「お金もない。友達もいない。居場所がない。そんなことがもう決まってるのに泣けば手に入るの?怒れば手に入るの?ただ何もないこの場所で景色を見ることも私には許されないの?」

コーヒーのお礼も言わず自転車にまたがり私は逃げた。

それから1週間、別の公園のベンチで過ごした。

 

逆に25年このやり取りを忘れることが出来ないのは1週間のせいかもしれない。

ベンチでボーっとしていると怒られた事をグルグル考えてた。

酷い事を言ってしまったんじゃないか?

コーヒー貰ったのに

知らん人なのになんで怒られたんだろう。

 

土曜日の仕事終わり海のほうに行った。

会えなかった。

友達って言ってくれたのにな友達ってあんなに簡単に出来るものなのかな?いろんなことを考えるようになっていた。

 

それから何回目の土曜かは覚えていないけどあの子に会えないなと思う気持ちも薄れてて来たとき。

 

E「なにしとん?」

私「何もしてないです。」

 

びっくりした。もし見つけてくれても、もう声はかけてくれないだろうと思っていたから・・・

 

E「遊びに行かん?」

私「無理です。お金ないし。」

E「ええやん、たかるつもりもないし、あそびにいこうや」

 

本当にイラついた。今考えると凄い酷い事をしたと思う。

財布見せて言ってはいけない事を言ってしまった。

 

私「この前も言ったけど、ここでただ海を見ているのが何がいけないんや!この財布見てみろ!千円札も入ってない俺に何ができるんや!残った金が欲しいんやったら全部やるから消えてくれ!」

怒鳴ってしまった。それで小銭を全部出してEさんの前に置いて自転車にまたがった。

 

本当に最低だったと思う。自分が一番嫌悪している母親の様に怒鳴った事がとても悲しくなり後ろからごめんなさいと聞こえていたけど、聞こえないふりをして私はその場から逃げた。

 

その後はただ仕事に打ち込んだ、何も考えなくて済むから、、、

無理をしすぎたのかヘルニアになった。

 

ヘルニアになって2ヵ月ほど海にはいかなかった。

いや、行けなかった・・・仕事に出ないと母から攻められ痛みを我慢しながら仕事に出たせいで終わるころには家で寝たいという状態になっていたから。

 

17歳になって痛みも出なくなった頃、家に帰りたくなかったのでまた海に行くようになった。いろんな場所を試したけどその場所が一番しっくり来たから、もう会えないだろう何か月も姿見せてないし見かけても声はかけれないだろうあと3年ゆっくり出来るかななんて思っていた。

でも会えたら謝ろうとは思っていた。

 

堤防上で横になり波音を聴きながら何日か過ぎた頃、声をかけられた。

E「すみません。少しいいですか?」

 

あぁ、分っていたけど壁はできるよね、てか普通初対面の時がそのテンションなんじゃ?と、でも謝ろうと考えていたから何も返さずに自転車にまたがった。

堤防に来るまでに自動販売機があるからそこで2本ジュースを買い戻ると泣いていた。

何で泣いてるかよくわからなかった。

ジュースを差し出して「この間はごめん。ひどいこと言ってしまった。これ仲直りの印。」

 

泣きながら凄い目を丸くして

E「なんそれw 何も言わずに自転車乗るからまだ怒ってるって思ったのにww」

E「どこか行くだけやったら言ってから行けww 泣いて損した」

私「ごめん・・・ これ受け取ってくれる?」

 

ジュースは受け取ってもらえ謝ってから初めて会話というものをした。

そしてあの日、私がEさんの前に置いた小銭を封筒に入れて渡してくれて謝られた。

 

私もあの日、後悔した事を言って帰る時間になったので少しすっきりして帰路につこうとしたら「また会える?」かと聞かれてビックリした事と嬉しかった事も今でも思い出です。

 

そこからは半年ほど仕事が終わって会える日がとても楽しみになっていた。

テレビ(芸能人)の話されても分からない事、マクドナルド等のファーストフードに行ったことない事を凄いビックリされた。

土曜の夜から日曜の夕方までここにいる事については「ばっちいwwホーム〇スじゃんw」なんて言われながらも人と話しをする事がこんなに楽しいと思える毎日だった。

 

半年後ぐらいにEさんの家に誘われた。

家に行って言葉を失った、雨の日には雨漏りする隙間風も凄い家だった。

間取りは2Kで部屋に入ると4畳半そして「外で寝るなんて危ないし少しの間だけやけどうちに来ればいい」と言ってくれたのがびっくりだった。

 

この時、好きだ付き合ってと言ってもいないし、ただ仕事終わりの喋ってる人がなんでこんなことを言うんだろう、何か魂胆があるんじゃ?と嫌な気持ちが膨らんでいた。

 

次の日からやっぱり海に通う毎日で海で会っておしゃべりする日が続いた。

月に何度か家に呼ばれ晩御飯をご馳走してくれた。

 

その頃、ご飯を食べない日がある事を怪しんでいた母親の事を何も考えてなかった。

 

その年の10月、忘れもしない事が起こる。

Eさんも片親で毒親だから家を出ると話をされた。

違う県に行くつもりだから一緒に行かないか?と一緒に来てくれるならうれしいし最初は苦労するだろうけど頑張れるとお願いをされた。

付き合ってもいない、好きかわからないそれでも一緒にいたいと本気で思ったから行きたいと精一杯伝えた。

 

実行する日は給料日の27日、家に戻って荷物持って海に行くと約束してその日を待った。

 

少しだけ早く帰り荷物をつめたりしてたのもばれていたんだと思う。

27日に家に帰るとまとめておいた荷物がない・・・

紙袋に箪笥に残ってる下着類を急いで詰めた。

そして紙袋を持って家を出ようとすると母が仁王立ちで玄関をふさいでいた。

母「給料やったんやろ?金を出せ。」

私「ごめん 急いでるから帰ってから渡す。」

母「なに持っとん?」

私「本屋に行こうと思ってるから袋下げていくつもりなんや」

母「もう一回いうわ 給料出して。」

 

ここで渡すと家出したときの金が無くなるので最大限抵抗した。

もう正直に話をした(E以外の事)

今日出ていく。これ渡したら来月生活できない。今まで言いなりになって給料を言われるだけ渡してきた。出て行かせてくれと

 

母「そうか。じゃあ今まで育てたったから300万持ってこい それ払ったらなんも言わんと行かせたるわ」

私「そんなお金がないのわかってるやろ。学校にも行かせてもらえず小遣いもなくもう嫌なんや 俺は奴隷じゃない」

 

そこですったもんだしてる間に母の彼氏が来て押さえつけられ荷物を奪われ給料袋を抜かれた。

この時、本当に〇したいぐらい憎かった。

そして家を飛び出そうとしたら

母「自転車使うなよ今まで貸しただけやけど反抗するなら貸してやる義理もない」

そして待ち合わせの時間まで30分しかない走っても間に合わない。

3時間かけて海へとついた時には誰もいなかった・・・

 

本当にバカだったんだと思う。

給料持って荷物なんか取りに行かず出ればよかったと

何で自転車を使わなかったのかと・・・

 

その日からEさんには会えなかった。

その後、19歳まで海に通ったけど私の非日常は日常へと戻った・・・